koukaida’s blog

後悔だけが人生だ。

カプセルホテル

去年の大雪で電車がとまった日、仕事に歩いて行った。まだコチラに移住したばかりで、雪の事を舐めきっていた。危うく途中で遭難するところだった。

ので、今年は学習して、電車が止まってもいいように職場近くのカプセルホテルに泊まることにした。

初めてのカプセルホテルである。え?カプセルホテルって鍵ついてないの?え?え?大丈夫?それ?大丈夫?と不安を抱えながらも他に方法が見つからないので思い切って泊まってみることにした。

お弁当と、寝るためのお酒を買い込んでチェックイン。ロビーには既に館内着でくつろぐお姉さんがいて、ホッとする。鍵付きのロッカーもあり、そんなに不用心ではなかった。

個室はロールスクリーンのドア?開けると、何か天井の低さがとても落ち着く感じで、秘密基地とはよく言ったもんだ。

奥に入ってしまえば外からの視線も届かない。イイな!なんか気に入ったな、もしお金持ちになって注文住宅作るときはカプセルルーム作ろうかな?

さすがに防音は全くないので歩く音、ロールスクリーンの上げ下げのおと、イビキ、などなど、夜中まで、そして早朝から、結構夜通しでしていたけど、アンマリ静かすぎるよりいいな!

また電車止まる時は泊まろう、とおもったのでした。

大雪でしたネ😁

ダラダラと過ごしてるうちに年も明けはや2月!光陰矢のごとし!

今期1番の寒気もぬけたようで、ドッサリ降った雪も溶けている。

雪はつもるとキレイだし寒さも和らぐきがするけど、溶ける時すごく寒いネ!周りの熱を奪っていくのかな?

大阪生まれで雪慣れしてないから色々新鮮〜。

雪が降ると大変だとわかっていてもはしゃいでしまう😅雪だるまも作ってみたけど、意外とむずかしかったゎ。丸くならないよ?

喉が痛い_:(´ཀ`」 ∠):

発熱から丸3日たち、今朝から平熱に戻りはしたものの、体の痛み、ダルさがひどい。特に喉が痛い痛い。熱が下がっても回復した感がナイな。でも振り返って1日目と比べたら全然マシ。大丈夫〜。

熱がある間も1日目以外は食欲はあったので、食べたい時に食べれるモノをとっていたら、今日胃もたれてる。

いゃ〜本当にしんどいよ。一人暮らしで病気って、独居老人の心細さがわかるネ。

ご飯は自分で用意しなあかんし、食べたらお皿洗わなあかんし。

洗濯とゴミはドンドンたまるし。今回私はいつゴミ出しに行けるのでしようか?コワイです。

 

私は田舎なので今回行政の支援の不十分さを感じて怒っていたが、旦那によると大阪でも同じらしい。

旦那も夏ごろ高熱を出し、保健所と発熱外来に電話をかけまくったが、熱が下がるまでの3日間、一回も電話が繋がらなかったらしい。

同時に娘が検査キットを買いに行ったら、どこも売り切れ、やっと見つけた精度の低いヤツが

4000円!ボッタクリ!(°▽°)

旦那がそのキットで検査しても陰性だったらしいが、自分の体感では陽性だったので信用できず、会社に説明して自主的に自宅療養で休ましてもらったそうだ。結局全ての費用は自分もちダゾ。

泣きっ面にハチやな❗️

 

流行り病にかかってしまった。

とうとう流行り病にかかってしまった。

朝起きたら突然の全身痛、深海に落ちたかの様な体の重さ。心臓はバクバクしてるし、ああ、心臓の病気かな?って初めは思って緊張した。丸一日ねて、薬で熱下げて、市の相談センターに電話する。けれど、何か正直電話する必要ないな、という対応。人は悪くないのだけど、電話したからとて何もない!といった感じ。とりあえず病院へ直接電話して話す。

しかしながら田舎のせいなのか、かかりつけの方以外お断りと言うスタンス。見てくれると言う病院も自転車での来院はお断りだそうだ。

本当に車社会。車運転できない人間に人権ないな。

仕方なく薬局を回って検査キットを購入して(病院で検査してもらったらタダなのに)自分で検査するも、みるみる線が現れて、くっきりまごうことなき陽性でした。

そして一応相談センターに陽性だった事を連絡する。一人暮らしである事を伝えると食料支援セットの事を教えてくれる。ですが、登録はちょっとややこしくてゴニョゴニョ…との事。

とりあえず電話切った後市のホームページから申込しようとしたが、検査キットはどこそこのメーカーじやないとだめ。とか写真を送れとか身分証を送れとか、とりあえず私が検査したのはダメなメーカーのやつだったので支援うけれず。

何だこれ!もう踏んだり蹴ったりだな!そもそも移住してきたよそ者じゃなかったらお医者さんも見てくれて、そしたら支援も受けれたんだろけど🥲

でもさ!税金も移住に伴う一時金も(高い!)ちゃんと払ってんのに!

あっ、車乗れないからか、クソう!

回復待ち

落ち込みが続いてる。悲しい気分だ。今日はYouTubeの心理カウンセラーさんの動画を見ながら過ごしている。

過去の体験を書き出して整理する。

生まれたその日に見にきた祖母に寄り目である事を指摘され、「あら嫌だこの子カタワだ」吐き捨てられ抱きもせず帰ったらしい。その事が母の繊細な心を傷つけた。私は母に恥をかかせたのだ。ちなみに大人になってから眼科で真ん中に寄ってるのは目のつき方でそうみえるだけと言われたが、寄り目なのは寄り目なので仕方がない。

この時から後、母は私をちっともかわいいと思った事がない、らしい。酔っ払ては4人の子供の育児の苦労話を披露していたが、私のは今聞けば悪口だ。それでもそれが普通だったから、皆こんなもんだろ?と思っていた。愛が薄いのは母がその母に捨てられたから、母自身が愛情を知らないせいだろう。

母は父に私だけ差別しているのを知られたくなかったらしく、たまに優しい素振りをみせるのもよくなかった。私は少しは愛されていると信じてた。流石に愛情あふれるとはおもってないけど、全くないとも思ってなかった。

それが、年老いて施設に入り、もう父に気を使う事もないと思ったのか、とうとうカミングアウトした。

父や姉妹達にたまには会いに行けと、やいやい言われ、私が会いに行っても喜ばないと言うと捻くれた事言うな、母は待ってる。なーんてちょっと嬉しい事言うから会いに行ったのに、後日アイツに来させるな、と出禁になった。

父は今まで気づかずにすまんかったと言ってくれた。それが、救いでもあったが、ごまかしようのない事実を突きつけられては認めざるを得ない。

わたしは母に愛されなかった。嫌われていた。40代にして手にした事実。なんとなくわかっていながら知りたくなかった。

心はすでに荒れていたので、むしろ解放された気分だった。それなのに奈落の底に落ちたみたいに悲しくて、誰もが私を傷付けに来る様に感じて、全ての人間関係をリセットした。そしてパートも人と接触の少ない早朝にし、ほぼ引きこもりとなった。生まれてから今まで何をして来たんだろう。幸せになりたかった。愛されたかった。

そして生まれてから何十年、嫌われていたのに気が付かなかった自分を恥じた。バカだと思った。今回、霊能者さんを勧められて落ち込んだのはココだとおもう。営業ありきの付き合いだったのに私はまた気づかずに好かれてると思ってしまった。でも、本当は私は知ってた。彼女と話した後、いつも違和感が残る。それなのに盲信的に関係を続けようとしていた。母をいつまでも信じていたように。そしてフラッシュバックした。彼女もよかれと思って霊能者を勧めてくれたんだろうに、まさか私がこんなにガックリ落ち込んでるとは思ってないだろう。ちなみに彼女は今、流行り病で自宅療養中である。

彼女の復帰までには心を回復させたいのたが。

霊能者さん

この前の続きだが、この落ち込みのキッカケとなったのが職場の知り合いだった。とても良くしてくれて、私が辞めようとした時も自宅に呼んでくれた。ひと回り年上なのに若々しく、大病を患ってなお明るい彼女をとても信頼していた。その彼女が、突然、「私の姉が、霊能者やねんけど、どう?一回5000円。」といってきたのだ。色々衝撃をうけた。身内にレア職業の霊能者がいるというのにも驚いたけど、何より何の悩み相談もしていないのに霊能者を紹介されたことに心底ビックリした。正直やっぱり病んでる様にみえるんだ、という事実に打ちのめされた。そうしてズルズルと過去の自分に引き戻される。自分の好きな事して、解放された気がしていたけど、逃れられないのだ。

霊能者の姉さんに彼女は自分の友達を沢山紹介しているらしい。皆に感謝されていると言った。彼女は姉さんにみせることでその友達の信頼性を測っているのかもしれない。それか、ただカモにされただけかも知らんが?

それまでに両親とは縁が薄いとは話していた。そんな感じしたわ、と返された。両親のことを霊能者の姉さんに聞いて解決するだろうか?

無理だろう。ご先祖様と話してくれるみたいだが、そのご先祖様が私には出てきてくれるかどうか?自信がない。なんせ生まれた瞬間から徹底的に母と父方の祖母に嫌われていたのに、ご先祖様に繋がる糸などプッツリ切れてしまっているのでは?

まあ、ご先祖様も亡くなってからも仕事するのも気の毒だし、もうあの世でゆっくりしていてほしい。私の両親はまだ健在だ。言いたいこと、聞きたいことあれば直接聞けばいい。

それから私は両親を恨んでいない。むしろ感謝している。ただ、母の愛情が欲しかっただけ、それは今も変わらない。どんなに望んでも手に入らない事もわかっている。解決するべきは偏ってしまった自分の心。幼いまま、心の奥で泣き続けている私自身をそろそろ成長させなければいけないのだ。

 

心の傷

ふとした出来事で心の傷がパックリ開いてしまうことがある。50を過ぎてなお、いまだ癒えていないのかと自分にあきれる。けど、傷と向き合おうとしていないのだから当たり前か。

 

自分語りだが、私は少々ネグレクト気味に育った。後に母から「お前を育てた覚えは無い。お前は勝手に育ったんや。」と言われたが、よく表していると思う。

別に育てられ方に何の不満もないが、愛情だけが欲しかった。

その渇望感は未だ心の中で幼い自分の形になってワアワアと泣き続けている。

普段はなんともないのに、何かのキッカケで、心の扉がバンバン開いて、奥に押し込めていた幼い自分の部屋へと導かれる。

もういいんだ。泣かなくていいんだと何度言ってもムダなのだ。